『デバイス』と『ユニット』

増幅デバイス

子供の頃から電子工作が好きです。小学校低学年の頃に雑誌の通信販売の広告に載っていたゲルマニウムラジオの組み立てキットを見て、それに異常なほど興味を惹かれました。その当時、小学生にとって田舎でそんなものを手に入れるのはハードルが高く夢のようなものだから諦めた、というよりも、そもそも買うということなど考えてもみませんでした。それからはゴミ捨て場に捨てられているテレビ等があれば、解体してコンデンサ・抵抗・真空管・トランジスタ・ダイオード・トランス等の部品を取ってくるようなことをしだすのです。一つ一つの部品、別の言葉でいうと『デバイス』が当時の私にとっては未知のものであり、まるでプロ野球カードを収集するかのようにそのデバイスを収集していたのです。

その集めたデバイスで何かを作り上げたかというと当時の自分の知識ではそんなことは毛頭無理な話で、けれども何かが作れるのではないかという期待感というか希望だけで相当楽しめたのです。デバイス単体は単機能で解りやすい構造をしていて、真空管に至っては中身が丸見えですからその様子から動きが想像しやすくて、なんとなくではありますが電子回路の基本分のナノ単位くらいまでの話は分かるような気がしてました。

それがいつの間にか真空管は半導体デバイスに置き換わり、半導体デバイスは集積化されてICとなり、ICはどんどん大規模化されてLSIやCPUとなりました。今では複数のLSIとCPUを一つに纏めて作られた『デバイス』に電源さえつなげば、一つのコンピュータという『ユニット』として使えるようになったのです。真空管の時代においてはちょっとした運動場くらいの部屋が必要だったほど巨大なコンピュータが、数cm角くらいの面積で実現できているのです。サイズ的にはデバイスと呼べるような大きさですが、内容・機能的には一つの立派なユニットとなっています。

ザ・テヅクリ

デバイスの脚と脚をはんだ付けして配線し、ラジオのようなユニットを作って遊んでいる時代は楽しいものでした。ICやLSIの時代になっても、初期の段階では手配線でコンピュータを作って遊ぶことがなんとかできました。しかし今ではそんなことができるような規模ではなく、出来合いのユニットであるマザーボードに出来合いのユニットであるCPUやメモリを挿して出来合いのユニットである電源を繋ぐくらいのことしかできなくなりました。そうして出来上がったユニットを道具としては使いますが、なんだか愛着が湧かないというか趣味のアイテムとしては捉えられないというか…。

自動車もデバイスを交換して直すような時代ではなくなってきていて、ユニットごと交換するような作業が増えています。各種センサやアクチュエータですら内部に電子回路や、物によってはCPUが内蔵されていますからもはや単なる『デバイス』ではなく『ユニット』と呼べるようなものとなっています。クルマをイジって遊ぶようなことをしようと思っても、ブラックボックスであるユニットを交換するようなことしかできなくなってきていて、インテークポートを削ったりキャブのジェットを交換したりというような、プリミティブな遊びができないのです。

デバイスの集合であるユニット単位でしか物を触れなくなってしまった時点でつまらないものになってしまったのかなと思ったり。自分の気持ちの中で『ユニット』を『マクロ的デバイス』として捉えればそのようなことにはならないのかもしれませんが、ブラックボックス的なものがあるとどうも納得できないというか。ミクロではなくマクロな視点でものを見るということは視野が広がり良いことのようにも思えるのですが、その反面、広くなった分浅くなるような気がしてどうも自分的に呑み込めない感じがするのです。

典型的な年寄りの悪い思考に陥っているような…。今となっては『デバイス』という言葉の意味も変わってきていて、前述の『(マクロ的)デバイス』=『ユニット』となっています。そろそろ昔を懐かしがってばかりいないで、今を楽しむ努力をしないとならないのかなとか。

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